JR京浜東北線・大井町駅とJR横須賀線・西大井駅の間くらいにある「大盛湯(たいせいゆ)」さん。東急大井町線「下神明」駅からも行けます。どの駅からも徒歩7~8分。タオルのレンタルもあるので、ふらりと立ち寄れます。
1950(昭和25)年築の宮造で、暖簾をくぐる前に見上げれば、軒下に見事な彫り物が!これは懸魚(げぎょ)という、木造の建物を火災から守ってほしいという願いを込め、寺社仏閣に取り付けられるものだそうです。
JR京浜東北線・大井町駅とJR横須賀線・西大井駅の間くらいにある「大盛湯(たいせいゆ)」さん。東急大井町線「下神明」駅からも行けます。どの駅からも徒歩7~8分。タオルのレンタルもあるので、ふらりと立ち寄れます。
1950(昭和25)年築の宮造で、暖簾をくぐる前に見上げれば、軒下に見事な彫り物が!これは懸魚(げぎょ)という、木造の建物を火災から守ってほしいという願いを込め、寺社仏閣に取り付けられるものだそうです。
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外国人墓地というと山手外人墓地が有名ですが、横浜には4か所の外国人墓地があります。他3カ所は、英連邦戦没者墓地(保土ヶ谷区狩場町)、中華義荘(地蔵王廟・中区太平町)、そしてここ「根岸外国人墓地(中区仲尾台)」です。
4つあるのに、ここが”もうひとつの”と形容されるのは、山手外人墓地と同じ区内にありながら、1967(昭和42)年頃まで荒れた状態で放置されたため、あまりに知られていなかったといいます。しかも、連合軍による接収や書類の没収などによって過去のことがよくわからないとか。
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1923(大正12)年9月1日に発生した関東大震災による建物の倒壊で、山手も瓦礫の山に。駐留していた外国人は神戸など他の都市への移住が相次いで、震災前に7650人いた外国人は翌年には2156人まで減少。そこで横浜市は復興事業として山手や根岸に市営住宅を建設しました。
この山手234番館は外国人向けの共同住宅として、現在の場所に建てられました。
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1853(嘉永6)年の黒船来航から5年、1858(安政5)年に日米修好通商条約をはじめとする安政の五カ国条約が締結されたのを機に、1859年7月1日(安政6年6月2日)に日本初の近代国際貿易港として横浜港が開港しました。
居留地の中でも、山手居留地は住宅地として発展、1899(明治32)年に居留地撤廃されたものの、割とそのまま残っていたようですが、1923(大正12)年の関東大震災で壊滅状態に。現在残っているのは関東大震災後に建てられたものです。
小田急大和駅前で行われている神奈川県最大規模といわれている「やまと骨董市」をウロウロしているとき、目に入った黄色い看板と「純喫茶」の文字、気になって仕方ありませんでした。ここだけ妙に昭和。
「純喫茶フロリダ」さんは、1971(昭和46)〜1972(昭和47)年頃の創業だそうですが、ビルはもっと古そうです。運良く駅前の再開発を逃れて今に至るのだそう。
毎月第3土曜日、小田急江ノ島線・大和駅の改札口を出ると、もうそこは骨董市!「神奈川やまと古民具骨董市(旧 やまとプロムナード古民具骨董市)」は、神奈川県最大級といわれています。数えていないけど、200店舗近く出店していたと思います。
キャンプ座間に近いこともあって、米軍関係のアメリカ人たちも来ていました。特に日本の民具や着物には興味深々のようでしたが、彼らがどんな風に使うのか、そのアイディアも学ぶところがありそうです。
渋谷駅も100年に一度と言われる再開発で随分風景が変わりましたが、まだまだ変わりそう。駅から500mほど離れたところにある東急百貨店本店も、2023年1月31日を以って55年の歴史に幕を下ろしました。2027年には、地上36階地下4階、高さ164.8mの複合施設が開業することが決まっているようです。
この風景も過去のものになり、だんだん忘れてうろ覚えになってしまうので、ちょっとだけ写真を撮っておきました。
渋谷109とヤマダ電機の間に「恋文横丁」と書かれたステンレス製の碑が立っています。終戦間もない頃、代々木公園にあったワシントンハイツに駐在していた進駐軍兵士と恋に落ちた女性たちの”思い”を翻訳してくれる代書屋さんがいたとか。
おそらく他の町にもこうした代筆屋さんは居たと思いますが(佐世保にもいたらしい)、ここを舞台にした「恋文」という小説と映画が人気となったことから「恋文横丁」という名前がつけられ、有名になりました。
名曲喫茶が減り、現存するのは高円寺や本郷、渋谷など普段の行動範囲とはちょっと外れたところだったため、「いつか行こう」と先延ばしにしていました。今年の目標のひとつは「先延ばしを減らす」ということで、渋谷の「名曲喫茶ライオン」に行ってきました。
装てんは新しいけど老舗感いっぱい。ちなみに店内は写真撮影禁止&おしゃべり禁止。本を読んでても、スマホをいじってても音を出さなければいいみたいですが、基本は「クラシック音楽に酔いしれる!」です。
有楽町の人気レトロ喫茶「Stone有楽町ビル店」、Twitterで今年9月閉店と教えて頂き、早速行ってきました。
まだ1月なので慌てる必要はなかったけど、「まだ大丈夫」と思っている間に機会を逃したこと、最終日間近に行って申し訳なく感じたことがあったので、今のうちから数回足を運んでゆっくり別れを惜しむことにしました。
【追記:2023年12月】
内幸町に移転し、ガラリと雰囲気を変えてリニューアルオープン。早速記事にしました。
(拙記事)東京|移転して生まれ変わった「Stone+」
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インスタ映えするメロン・パンケーキでも有名な「COFFEE BRIDGE(ブリッヂ)」。1958(昭和33)年創業です。
他にもパンケーキの種類はあるのですが、メロンパンケーキはJR東日本の「FUN!TOKYO!」のポスターにもなりました。ちなみにパンケーキ屋さんではありません。
あけましておめでとうございます!
2023年の初日の出は、JR東海道本線「根府川」駅(神奈川県小田原市)のホームから撮影しました。だるま朝日です。これが見られる条件が揃う日は意外と少ないらしく、特にだるま朝日を見た人は幸せになれるといわれ、初日の出で見られるのは非常に縁起がよいのだとか。
茅ヶ崎にレトロ喫茶はあまりないのかなあと思ったら(決して多くはない)、まだまだありました。国道1号線に出る少し手前の「pockett(ポケット)」さん。ランチタイムは近くにある市役所の職員さんがよくいらっしゃるそう。
おいしいお料理に加え、ママさんのお人柄ゆえ、定年退職された方も時々顔を出してくださるとか。
JR有楽町の駅前の東京交通会館地下1階にある「喫茶ローヤル」。ビルが開館した1965(昭和40)年に同時オープン。内装も当時のままに残しているそうです。
銅板の細工、大理石、ステンドグラス、ガラスを囲む木枠の彫りなどはもちろん、天井の照明や壁紙も高級感があり、素敵な空間です。
藤沢駅周辺もレトロ喫茶がだいぶ少なくなったそうだけど、映画のロケにも使われた有名店があります。でも、「地元の人がはここに行くよー」とTwitter で教えていただいたのが、「海ーKai」。
子供の頃、今より外食は特別感があり、こういうパフェはすごく嬉しかった! |
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ここのところ、レトロ喫茶の閉店・解体のニュースが多く寂しく感じていたところに「2022年12月6日にミロンガ閉店」と聞いて少々凹んでいました。老朽化による移転と聞いてほっとしたけれど、あの空間がなくなってしまうことには変わりがない。
レトロ喫茶巡りをするとき、有楽町や神田には足が向いても大手町って忘れがち。というより、新しいキラキラの高層ビルがどっと増え、レトロ喫茶があるとは思えない雰囲気に。
その中で逆に目を引く9階建ての大手町ビルヂングは1958(昭和33)年竣工。ここには、ありそうな気が・・・・。勘は当たりました!
2022(令和4)年7月8日、安倍元首相が演説中に凶弾に倒れました。心よりご冥福をお祈りします。まさかあんな風に突然亡くなるとは。ご家族や周囲の方はなかなか気持ちの整理がつくものではないと思います。
けれど、その後の展開も衝撃的でした。まず、岸田首相はその6日後の記者会見で「国葬をおこなう」と表明。これに対し、国葬に反対するデモ集会が8月31日、国会議事堂の正門前で行われました。
ニュー新橋ビル地下1階に1971(昭和46)年開業「喫茶フジ」。このメニューサンプルのケースがかわいくて思わず入ってしまったのですが、サラリーマンの仕事場(憩いの場)という感じ。完全分煙、Wifi、電源、明るすぎない店内・・という環境。
オリジナルのコーヒーカップ&ソーサーやティーポットがお土産として売られていました。岐阜・美濃焼の製造メーカーによるものだそう。
有楽町駅西口を出てすぐのところにあるワインレッドのビル「有楽町ビルヂング」。竣工は高度経済成長期の1966(昭和41)年5月。外見は控えめな印象だけれど、一歩中に入ると、飴色のタイルの美しさに目を奪われます。
残念なことに、建築ファンにも愛されているこのビルも、とうとう建て替えられるらしい、と聞きました。時期は2023年頃とか。
前回の続きです。ここがビル2階にあるアートスペース。オフィスビルとはいえ、ビルの1階~2階は公共施設みたいな雰囲気もあり、気兼ねなく入れます。ちょうど2022(令和4)年7月4日~30日まで「9人の写真家が見た水俣」の写真展が行われていました。
1969(昭和44)年に出版された石牟礼道子(いしむれ みちこ)さんの「苦海浄土」、昨年秋に公開された映画「MINAMATA」は有名ですが、数十年に渡って水俣に足を運んで撮られてきた写真はどれも胸に迫るものがあります。
でも、つらいものばかりではありません。
有楽町駅前の再開発も決まっているし、東京の風景もどんどん変わっていきそうなので撮りためています。今回は「新東京ビルヂング」、1963(昭和38)年第一期竣工、1965(昭和40)年完成。
この時代のビルは角に丸みを付けたものが多い気が。デザイン的な流行か、「尖ったものや鋭さを感じるものを他人様に向けてはいけない」ということに敏感だった昭和らしい感覚か。角に使われている曲面ガラスは当時の最新技術だったそうです。
東京23区の中でも銭湯が多いといわれる足立区。中でも北千住は、1971(昭和46)年頃が最盛期で、当時は24軒もの銭湯があったそう。
駅前は随分前に再開発されたものの、少し歩けば昭和の下町の面影が残っているのですが、駅東口からたった徒歩1分の場所に、唐破風の屋根の銭湯が残っているのには驚きました。
隣にある有楽町ビルヂングと共にこちらも建て替え、2023年に閉館が決まっているそうです(2021年7月29日に三菱地所=発表)。
竣工は1967(昭和42)年1月。地上14階、地下4階、塔屋1階建てのオフィスビル。強い青味を帯びた黒の外観は、ビルの外観としてはあまり見かけない色。また窓の意匠もユニークです。
1957(昭和32)年創業の「Cafe 紅鹿舎(ベニシカ)」。JR有楽町駅徒歩4分、東京メトロ日比谷駅から徒歩3分、近くには宝塚劇場があります。
「元祖ピザトースト」で有名なお店としても有名ですが、その他紅鹿舎さんならではのメニューもあります。
銭湯も建て替えが増える中、破風造りの銭湯に惹かれます。ずっと南関東に住んでるから当たり前に思っていたけど、実はこの造り、関東、特に東京・神奈川などに多く見られるのだとか。1923(大正12)年の関東大震災の復興の過程で、頑丈で豪華な宮造りにしたことが始まり、戦後の復興過程でも多く造られたという。元気づけたり安心できる場だったのでしょうね。
東急目黒線「不動前」駅から徒歩7分くらいの住宅街の中にある「松の湯」さん。創業は1961(昭和36)年。 震災からは随分経っているものの、この造りは相当人気だったことが伺えます。
五反田のTOCビルも2023(令和5)年3月末で閉館し、その後すぐに解体される、という話を聞きました。
※追記:解体工事着工を6ヶ月から1年程度順延、それまで営業を続けるとのこと(2022年9月の発表)
また「あって当たり前」になっていたものが姿を消すのかと、立ち寄ってきました。もう閉店してしまったけど、レトロ喫茶好きに人気の「LIPTON」もここに入居していました。