神田と聞くと、東京駅や日本橋、秋葉原の間に挟まれているためすごい都会をイメージする人もいますが、小中規模ビルが立ち並びこのエリアだけ下町的、庶民的な雰囲気が残っています。何でここだけ?な感じです。大手町方面から来て日本橋川を渡るとタイムスリップをしたかのように街並みが変わります。
実は、煉瓦造りに見えるのは中央線の西側部分のみだったりする。 |
JR神田駅付近は、東京に馴染みのない遠くから来た人がイメージする神田は、ちょっと遠いエリアのことだったりします。
神田駅の西口と東口(東京駅に近い方)に、かつて戦後の時代から生き続けたガード下の飲食店街「今川小路(いまがわこうじ)がありました。千代田区(鍛冶町)と中央区(日本橋本石町)の境あたり。
向こうには大手町の新しいビルが見える。 |
竜閑川を埋め立てた跡に建てられ、最盛期には居酒屋や焼肉店など16軒が肩を寄せ合うように並んでいたそう。ガード下にピッタリはめ込むように建てられた住居兼店舗、戦後の混乱期に建てられたような雰囲気。今ではもうほとんど見かけなくなりましたが、2017年9月に閉鎖・解体されるまで、大手町にこんなに近い場所に残っていたんですね。
またまたJR神田駅周辺の記事です。この辺りはおいしくて珍しいコーヒーを頂ける昔ながらの喫茶店が多いのですが、お豆まで買えるお店も多いです。そのうちのひとつ、1948年創業の斎藤コーヒー店さん。西口から徒歩3~4分くらいのところです。
少し離れたところに焙煎のみをしているお店があるのですが、喫茶店は現在2店舗。1961(昭和36)にオープンした「日本橋室町店」は伝統的なスタイルの喫茶店。今回お邪魔したのは、「内神田店」。1983(昭和58)年に開店したセルフサービススタイルのお店です。
旧万世橋駅から新橋駅まで続く赤れんがの高架橋は、明治の都市計画に基づく近代化遺産。ガード下の飲食店というと有楽町で、サラリーマンの憩いの場となっているけれど、神田駅にも規模は小さくともガード下には様々な飲食店が軒を連ねています。
飲み屋さんとかラーメン屋さんが多い中、カフェってちょっと珍しい。この神田珈琲園さんは1958(昭和33)年にこの場所でオープン。最初は自家焙煎の専門店ではなく”美人喫茶”だったといいます。もうそのカテゴリーがいかにも昭和ですよね(笑)。
神田神保町にはいろいろな名店がある中で、ここ「ラドリオ」さんについては書く必要もないかなあと思いつつ、記録として残しておきます。コロナ禍に加えて、岩波ホールが閉館してから足が遠のいていたものの、「神田古本祭り」に来たついでに立ち寄りました。
戦後まもない1949(昭和24)年の創業、まだ日本が連合軍の占領下にあった時代です。そう思うとすごいですね。ちなみに、日本で初めてウィンナ・コーヒーを出した店としても知られています。
ずっと神田駅周辺のことを記事にしていたので、ちょっと箸休め的に違うエリアの記事を。といっても、やはり神田駅から徒歩圏内の日本橋です(JRなら東京駅からの方が近いけど)。今回来たのは『cafe TOYO』さん。何をコンセプトにしたのか、不思議なデザイン。2階はレストラン『Brasserie TOYO』さんで、これまたガラリと雰囲気が変わり、面白いお店でした。
インテリアデザイナー・境沢孝さんが手がけ、その後のご子息の境沢健次さんが1階カフェを改装したという、親子二代による作品のようです。
宮造りなど、いかにも昭和の銭湯という感じのところばかり記事にしてきたけど、ビルトインの銭湯でも紹介したいところはいっぱい。たとえばここ、JR神田駅と大手町の間くらい(A1出口からなら、大手町の方が近い)「稲荷湯」さん。
既にここにあった銭湯を、現在のご主人のお父様が1955(昭和30)年に購入し、1982(昭和57)年に建て替えてビルトイン銭湯になったとか。中はさらにリニューアルされていて非常にきれいです。
ここ最近続けていく機会があったので、神田駅周辺特集みたいになっています。再開発が進み高層ビルが建ち並ぶ東京駅周辺に程近く、少しずつ再開発の手が伸びて来てはいても、昔とあまり変わらない庶民的な街。
大手町方面に歩いていくと、いかにも高度経済成長期に建てられた感じの「鎌倉河岸(かまくら かし)ビル」が見えてきます。1973(昭和48)年竣工。鉄筋コンクリート造の地上10階・地下1階建て。地味だけど、よく見るとちょっとかっこいい。
最近、久しぶりにJR神田駅周辺に来る機会に恵まれているので、純喫茶やレトロ喫茶ファンにはお馴染みの「珈琲専門店エース」さんにお邪魔してきました。わざわざ遠くから人がやってくる人気店ですが、朝は出勤前のサラリーマンでほぼ満席でした。
お店の外にも中にもある看板やメニューは、オリジナルのフォント。全て手描きなのだそうです。写真は撮れませんでしたが、店内に飾られている「世界の珈琲産地分布図」も一見の価値ありです。
前回、甘味処の竹むらさんの記事を書きましたが、今回はそのすぐ近くにある老舗のお蕎麦屋さん「神田まつや」さん。実は、竹むらさんに行く前に訪れたら、満席。日を改めて来てもほぼ満席!さすが人気のお蕎麦屋さんです(基本的には、並ぶものと思っていい感じです)。
神田まつやさんは1884(明治 17) 年創業、大正、昭和、平成を経て令和の現在でも伝統の江戸の味を守り続けています。こちらも池波正太郎さんが通った名店です。
神田というとつい神保町の方ばかり行っていて、JR神田駅周辺に来たのは久しぶり。このあたりは、北側の神田川、南側の日本橋川に挟まれた庶民の町で、低中層ビルが密集するオフィス街。西口に降りれば大手町に近く、北口に降りれば秋葉原に近い。
汐留シオサイト地下歩道の特設スペースで写真展が開催されていました。この写真展は、新聞通信調査会が毎年開催している報道写真展シリーズ「定点観測者としての通信社」。2023年の今年は「関東大震災100年-写真に刻まれた記憶-」です。
1923(大正12)年9月1日11時58分、相模湾北西部を震源とする大地震が発生マグニチュード7.9と推定、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、山梨県で震度6を観測、死者・行方不明者10万5000人以上の被害を出しました。写真展では、各地の惨状や復旧に向けた動き、懸命に生きる当時の人々の姿と暮らし、そして100年後の街並みなどの報道写真が展示されています。
久しぶりに秋葉原駅を利用したので寄ってきました、「牛乳スタンド」。 始まりは戦後復興期の1950(昭和25)年、雪印乳業(現・雪印メグミルク)の駅構内店として御徒町駅にオープンしたのが始まり。
運営しているのは「大沢牛乳」さん。秋葉原駅には1951(昭和26)年に出店。総武線の千葉行き(6番線)と御茶ノ水行き(5番線)の2つのホームにお店があります。
JR横浜駅のみなみ西口(相鉄線改札の方面)から徒歩2分”横浜のリトル歌舞伎町”とも言われる西口五番街にある老舗喫茶店「横濱珈琲店五番街」さん。1965(昭和40)年に創業した輸入食材を扱うお店から、1970(昭和45)年頃に、珈琲店に転身したそうです。
この辺りにお店が軒を連ねるようになったのは、昭和30~40年代にかけて。キャバレーやバーが集い、”ディスコ”もあるような夜の歓楽街だったとか。
非常に遅まきながら「YouTube」も始めました。
これまで動画を撮影し少し編集をしても、アップロードするに至っていませんでした。時間もなかったし、正直面倒くさかった(笑)。
4yi movies
https://www.youtube.com/@4yimovies
だけどこのままボツにしてしまうと、この先も延々と「撮って、少しいじってはボツにする」という悪習慣が身についてしまいそうなので、少しずつYouTubeにアップしていくことにしました。画像と文章だけでは伝わりにくいものもあるので、動画があった方がいいような気がしていましたし。
JR東海道線・大船駅東口から歩いて7~8分のところにある「紙風船」さん。芸術館通りをひたすらまっすぐ進むむと、大船中央病院前の交差点がありますが、その少々手前で左斜めに入る道沿いにこの赤い装てんが見えてきます。ロゴがかわいらしいですよね。
近くには、鎌倉芸術館や鎌倉女子大がありますが、かつてこのあたりには松竹大船撮影所がありました。お創業は昭和の終わりごろ。なのでもう40年くらいになるそうです。
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寅さんを演じる渥美清さんと山田洋次監督。 撮影は昭和44年から平成7年頃まで約26年間も続いた。 |
無声映画からトーキーへ移り変わると、周囲にある町工場の騒音が撮影に差し障ることから、1936(昭和11)年に、神奈川県鎌倉郡大船(現:神奈川県鎌倉市大船)に移転しました。寅さんでおなじみの「男はつらいよ」もここで撮影されていました。
新橋と虎ノ門の間あたりにあって、たぶん、一番近い駅は都営三田線・内幸町駅・・という立地にある「カフェ・ド・ルノン」。ジャンボプリンで有名なヘッケルンより新橋寄りです。
周辺のオフィスで働く常連さんが息抜きや軽い打ち合わせに利用している感じで、こちらも全席喫煙可。朝6時30分からの営業しています。
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JR横須賀線・北鎌倉駅の小さな駅前広場の両サイドには、小規模ながらも個性的な飲食店が軒を連ねています。その中のひとつ、喫茶「門」。1965(昭和40)年創業です。
以前から入ってみたかったのですが、混んでいた時期で、しかも4人は無理だったので泣く泣く諦め、ようやっとかないました。紫陽花で有名な円覚寺さんのすぐそばのため、窓からお庭が見えます。紫陽花の季節を外せば、比較的静かに過ごせます。
「発信」を始めたのは1996年頃。書いていたのは主に旅行記でした。当時はブログサービスもSNSもなく、HPを作るのにHTMLの知識も必要。作成だけでも手間がかかりました。
HPが少しずつ仕上がっていくことや、掲示板で普段の生活では接点のないタイプの人達とのオンライン(時にはオフライン)交流するのは、本当に楽しかったです。
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半世紀以上読み継がれている「はだしのゲン」。広島市に住む国民学校2年生の主人公・中岡元(通称・ゲン)が1945年8月6日に投下された原爆によって、父、姉、弟の3人を亡くしながらも、たくましく生きる姿を描いた名作です。現在では24の言語に翻訳され、単行本の売上は累計で1千万部以上、アニメ化や映画化もされました。
終戦時に6歳だった中沢啓治さんが30代の頃に描いたもので、しかも自伝的要素が強い作品であるため、非常にリアルです。戦争や原爆投下の残酷さ・悲惨さ、唯一の被爆国としての思いを後世に伝える漫画として、家や学校の図書室で読んだ人は多いと思います。
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2004年に公開された「Super Size Me(スーパーサイズ・ミー)」 、Amazonプライムビデオで再視聴。日本にはコンビニもあるし、駅前には”早い・うまい・安い”を競い合うチェーン店もあり。明らかに日本人の体型も変化しつつあるなと思います。
不眠・抑うつ、イライラ、慢性的な疲労感、頭痛、食欲不振、便秘、冷えや浮腫み、皮膚トラブルなど何がしかの不調を抱えて働く私達。毎日食べているものが心身の調子に影響しているとは聞くものの実感は乏しいし、不調なときに限って「食事変えたくらいで良くなるかよ」と思いがち。
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前回からの続きですが、随分時間が空いてしまいました。戦後、国民が荒廃と混乱の中で生きるのに必死になっている頃、世界では共産主義が拡大していき、1950(昭和25)年に朝鮮戦争が勃発。日本は「対共産主義の前線基地」への変化を余儀なくされました。
聞いているだけでまた戦争かと腹立たしくもなりますが、財閥解体などで力を落とした日本にとって、工業分野を復活する大きなきっかけになりました。
まだまだ移転作業中ですが、こちらに記事を纏め始めて2か月半、Googleアドセンスの審査が無事通過しました。以前、WordPressで試しに申請してみたら落ちたけど、ドメインも変えてGoogle Bloggerに移転したら、一発でした。申請から24時間かからずに、通過の通知が来ました。早くない???
WordPressで書いたものはほぼそのままで、内容も方針もほとんど変わっていないのに、です。若干、Facebook等で書き散らかしたものもいくつか移して、新記事をちょこっと加えた程度です。
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日比谷公園内にあるレトロな売店。昔の商店みたいにするなど、あえて昭和レトロな感じに改修する売店もある中で、こちらは本物です!
かつては公園内に6店舗あったそうですが、現在は日比谷公会堂前にある「石井売店(3号公会堂前売店)」 と、サービスセンターの隣にある「川原売店(4号草地前売店)」の2店舗のみ営業しています。権利者(経営者?)は民間の方です。